教育改革のゆがみ

夏の甲子園島根県の大社高校ベスト8入りが話題となっています。若い人々がスポーツで頑張る姿はいつ見ても素晴らしいものです。

 しかし今の甲子園、私は世間一般の事情に疎く、甲子園の外野スタンドが有料となった事さえつい先日まで知りませんでした。まさか高校生の部活動で金を取る事が平然とまかり通る世の中が来るとは思いもしませんでした。

 地域の代表として出場する夏の甲子園代表校の多くが私立である事は私の時代も同じでしたが、近年それは当然の事となり、県立高校がベスト8に残る事自体がメディアで話題となる、そこに問題を感じる感覚の方が正常ではないでしょうか。


■誰も責任を取らない国

 教育の無償化とは誰の為に必要な政策でしょうか。それは当然、学ぶ権利を持つこども達の為でなくてはなりません。しかし実情は少子化により経営困難となる私立学校への税金投入であるように思えてなりません。

 教育は国の要です。しかしこの国の現状は讃嘆たるものです。学問とは純粋な探求と研究であり、決してビジネスのために存在するものではありません。この当然の事が当然として存在していない事にこの国の教育の問題があります。

 こどもの減少が国の存亡に関わるほどの事態となった根本的な原因は、国と役所が進めた高度経済成長政策にあります。異常な経済成長を支えるために必要な労働力として地方から奪われた人口。それが現在ある全ての問題の根源です。

 人を食い物にして、こども達さえ食い物にする経済政策が勧められた結果の少子化であり、地方の衰退です。

 名前だけの奨学金というローンを抱えた多くの学生たちは、はもはや学生という名の労働力と化しています。将来を担う若者たちの現状を見なければ国は滅びます。

 ビジネススクールと化した高校、大学。スポーツさえも育成という名の商売としている私立の学校に助成する税金は、本来学ぶ権利を持つ子供たちの為にこそ、使われるべき税金でなければなりません。