1945年-日本(13)
◾️時間と存在と記録
昭和の始まりである昭和2年の歴史。それは単なる記録ではありません。歴史とは過去に起きた出来事の記録ではなく、現在へつながる時間の根源です。
そしてその中核は記録された出来事をなぞる作業ではなく、その時に存在していた社会の中で起きた出来事の意味を考える事にあります。
社会を構成する要素のひとつである政治。これは単に政治という分野の中でのみ起きる出来事ではありません。社会の中で、経済、文化、風俗、学問、芸術、科学、全てが同じ時間軸として相互に関連した要素から「その時代」という社会を作り出すものです。
そうした視点に立つ事が過去の歴史を現在の時間に繋がる根元として捉える事が出来る唯一の方法であり、かつて存在したその時間を音として、色として、形として、光の明暗として、人の五感から時間を捉える方法でもあります。
◾️明治維新の本質
幕末から明治へと向かう時代については今更私が語るまでもなく多くの研究、書物、記録が存在します。
しかしそれらの多くは何らかの分野、例えばそれは時に政治であり、時に文学であり、時には軍隊や戦争という側面から語られる場合が多いものです。
こうした分野毎の研究はその分野において貴重な研究ですが、時代というものを現実的に把握するためにはこれ以外の同じ時、同時に進行していた別の要素が重要となります。
例えばそれは幕末の討幕運動。ここで大きな役割を果たした薩長同盟も、個人の立場やその時代の他の出来事と関連性を持って捉える必要があります。
西郷隆盛と桂小五郎の出会いを作り出した坂本龍馬ですが、薩長同盟は龍馬にとって、西郷にとって、桂にとって、同じ同盟でも意味は異なります。
また余り歴史の表舞台に登場しない人物。例えば松平春嶽(越前藩主)のような存在が龍馬に与えた影響も見逃す事は出来ません。
時代を俯瞰すれば、この三人でさえ明治を迎える前(坂本龍馬)、明治初期(西郷隆盛像)(桂小五郎)に皆死んでいます。
幕末の討幕運動をヨーロッパの革命と同じ意味(実際にはかなり異なります)で考えれば、その中心となった人物たちのほぼ全員が新しい時代の初期に、皆若くして亡くなっている事、それは非常に珍しい現象です。
また皆が若くして亡くなっている事実は討幕側の人物だけではありません。佐幕、つまり幕府を守ろうとした側の人物もその多くが若くして亡くなっています。土方歳三、河井継之助、松平容保、小栗上野介。
言わば革命の英雄たちと朝敵とされた側の英雄たち、その殆どが生存していない中で成立して行ったのが明治新政府です。明治という時代はそうした特殊な環境から始まっています。
こうした視点に立つ時、昭和から平成、令和へと繋がる明治という時代を考えるための大切なヒントが隠されています。
1945年-日本(14)
◾️公界(くがい)と民衆の意識
先にお話しました明治時代の不思議は政治や軍事の面に限る事ではありません。例えばご訪問くださる方々の多くが興味を持たれている競馬。これも明治にその始まりを置いています。
馬券の発売を伴うギャンブルとしての競馬興業ですが、江戸期、徳川幕府の時代に行われていた半丁賭博や花札といったギャンブルの主な場所の多く、それは寺でした。
胴元の取り分(事前控除)の名称をテラ銭と言うように、博徒と呼ばれる人々の多くはその場所として寺社仏閣を使用しています。
また現代の宝くじ、そのルーツである「とみくじ」の発祥も寺社仏閣です。
しかしこの事実が即ち宗教の堕落という短絡的な見方をしてはいけません。江戸期よりも遥か以前、南北朝の時代でさえこの国の寺社仏閣には公界という特殊性が存在しました。
◾️自由を求める心の奥底
公界(くがい)とは私有ではない場所、それは尊敬する民俗学者 網野善彦先生(神奈川大)の研究に詳しいように、アジール(境界)としての意味合いを持ちます。
公界の中では時の権力、例えば朝廷や幕府、地方を直接管理する守護や守護代、奉行、代官でさえその権力を行使する事は出来ない。それが原則でした。
博徒と呼ばれる人々はその存在が渡世人、つまり公(おおやけ)の場所から外れた存在です。しかし寺社仏閣の公界、アジールでは守られており、これがテラ銭の由来とも成っています。
もちろんそこには宗教の堕落、腐敗も関係していない訳では無いと思います。しかし公界が権力の及ばない聖なる力を持つ土地であるという認識は、長くこの国における共通の価値観でした。
そしてその象徴的存在が村の鎮守や和尚様であり、人々の自由にとってそれが大切な存在であるという意識にはそうした歴史的背景があります。