1831年、ガロアはポアソンのすすめによって、先に提唱した論文を書き直してフランスアカデミーに送ります。
前の二度は散逸しましたが、この三度目の論文が残り、シュバリエ宛ての遺書と共にガロアの論考として残ります。

同じ頃、ガロアが数学塾を開いていたという記述もあります。ここには30人から40人ほどの数学好きが集まったようですが、単なる数学好き程度でガロアの論考を理解出来るわけもなく、自然消滅という形であったようです。
◾️初恋と決闘
ガロアが所属していた「人民の友の会」は、その過激な言動によって当局の取り締まりを受けていました。
1831年7月14日、革命記念日のデモに参加していたガロアも逮捕され、サン・ペラージュ監獄に収監されます。
同年3月、コレラの蔓延によりフオートリエ診療所に移送されたガロアは、ここで医師の娘ステファニーと出会い、恋に堕ちますが、二人が結ばれる事はありませんでした。

そして運命の5月30日、謎の決闘により腹部を銃撃されて倒れているガロアを、通りすがりの農夫が見つけて病院に運ばれます。
この決闘について要因や真相は判明していませんが、相手は貴族であったとも言われています。
弟が駆けつけた時には既に手遅れだったようで、「泣くな、20歳で死ぬのはありったけの勇気が必要なんだ」と、それが最後の言葉だったと伝えられています。
時に運命は天才を早く連れ去ります。それはあたかも、道を切り開く事が定めであったように、それだけを残して、天に連れて帰るのかも知れません。